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占いハウス、第三の眼という名前の由来は

代々木の物件を見た時に、
その場所は、ステーキハウスと、野菜屋さんの間にはさまれていたのです。
なので、動物と、植物の間としての、虫のことを思い出しました。
これは「生命の階段」としての、振動の序列です。
絶対
大天使
小天使

哺乳動物

植物
鉱物
金属
無限

という階層です。タロットカードなどの絵柄には、まだこうした古代的な序列の名残があります。

脳の中で、脳幹、つまりジュラシックコードがある場所の中に
第三の眼と言われた、松果体が埋もれています。
わたしはこの部位を、「虫の脳」と呼ぶことが多いです。
脳を、虫、羊、人という三つに分けると、これは新プラトン主義でもあり、また脳の基本的な枠組みともなります。

虫の脳の中にある松果体は生体の中のタイマーのようなもので、
デカルトは、ここにホムンクルスのようなものが潜んでいると考えました。
松果体は、自然界のリズムに同調する性質があり、
結局占星術のタイミングなども、ここで受信するのだとわたしは考えます。
第三の眼というと
超能力を思い浮かべる人がいますが、それはあまり重要ではないのではないかと思います。
記録装置が発達してから、わたしたちは記憶する力を失ったように、
時計が開発されてから、わたしたちは松果体を使う必要性もなくなりました。
しかしあらためて現代的に、その働きを取り戻す必要もあるでしょう。
同調装置であり、それを失うことで、わたしたちは、自然界との呼応ができにくくなるからです。
失うことで、むしろわたしたちはより深く、この社会の機構に依存することにもなります。

これを書いている日の明け方、夢をみました。
いまこの行を書いている最中、いまのいま、その夢の内容を思い出しました。
バッタのお尻に爪楊枝を刺して、頭の上に乗せるというのが流行していて
わたしもそれをしようと思っていたけど、このバッタの腹に背中をもたせかけて、
バッタの身長と同じくらいの小さな丸い顔の人が直立しており、彼は生きて揺れています。
で、その揺れで、もうすでに死んでいるはずのバッタも、生きているように動くのです。
この小さな人の丸い顔は、まるで吉田戦車の漫画の登場人物のようです。
その作りの精密さに、わたしは感心していました。
夢の中で、バッタに爪楊枝をさして、頭に載せるという行為はなかなかに気持ち悪く
あまり気乗りしませんでした。
この遊びのような、流行が盛んだったのは、平安時代のような感じで、
わたしもお公家さんのような格好をしていました。あの木靴を履いていました。

で、この夢はもう朝に近かったのでしょう、
わたしはだんだんと目覚めてきました。
目覚めてくる最中に、
そういえば、小学生の頃には、虫を捕まえて標本にしたり、
ばらばらに身体を切り離して、いじりまわしていたり、と、抵抗感なくやっていたなと思い出しました。
とくにセミをいじりまわすのが多かったです。
みみずをたくさん瓶に入れて、冷暗所で発酵させる、という、思い出すに気持ち悪いことも平気でしていました。

個人の幼少期は、歴史の古い時代の再現です。
平安時代?奈良時代?
わたしは自分の中の平安・奈良時代には、虫を平気でいじりまわしていたのです。

江戸時代に入る前、豊織時代に、わたしたちは、狭い共同体の中に同調し、
この中でのみ生きるということを強制されるようになりました。
その基準に合わない自由な人を、「可哀想な、救いようのない人」と見なすような発送の逆転が
起こったのです。そうすることで、いいなりにならない人を集団的に力で押さえ込むことができるようになったのです。
すべての基準は、他者、そして社会にあるように考える習慣が身についたのです。
それ以上の遠いところを見てはならない、と。
わたしたちは、そのときに、虫と、その中にいる吉田戦車風のホムンクルスを失ったのかもしれません。(つまり機能はしているが、潜在下に押しやり、制御できない自動化へ。)
それらが活性化していると、共同体よりも向こうの世界を見てしまい、またそのリズムを受信してしまうのです。

夢の中で、気持ち悪いと思ったけど、気持ち悪いというのは
いつも使っているものと違うものが目覚めたり、活性化する時に感じることです。
いつものことをしている時に、わたしたちは快適。
いつもと違う神経を刺激すると、気持ち悪い。これはたとえば、動かない中指を無理に動かそうとしていると
なんか気持ち悪くて吐きそうになる体験を思い出してみると良いでしょう。
| 名前の由来 | 09:36 | comments(10) | trackbacks(0) | pookmark |

続き

夢の中で、五センチ程度の高さもない小人が、
トンボの羽みたいに、ぷるぷると揺れていて、
その揺れが、背後の死んだような、あるいは死んでいないのかもしれないが
死んでそうなくらいに動きの鈍重なバッタに伝わり、バッタがあたかも生きているかのように見えるという
細部の印象が、その後気にかかったので、付け加えを書きます。

吉田戦車の漫画風のホムンクルスは、非常に軽い素材でできていて
半透明。この繊細感は、なかなか忘れられない感じがあった。
虫の脳は、実はこの小人の動きに操られているだけで、虫そのものは受信機能がなかった。

で、わたしたちは、社会という閉じられた世界で、しかも自然界から孤立した社会の中に安住するには、
この松果体という、天体やら、自然界やらに敏感にぷるぷると反応する働きを抑制し、
その引き替えに、人と人との関係などから発生するものに深入りすることを積極的に行ってきたのだけど、
そして近くの人のことは見えるけど、遠くの自然界の響きは聞こえないというふうになってきた、ということなのだけど、これは日本人は江戸時代を超えられないと言われていることにも関係するでしょう。
共同体の住人を、互いの情感で結びつけ、定住させ、互いに監視しあう組織化を進めた段階で、
同時に、外部通信機能のスイッチを切る必要性が生じた。織豊時代から続く江戸時代に、このシステムは完成したのでしょうね。
地に埋められたクニトコタチというのも、こういうことに関係あるのでは?
デカルトの言うホムンクルスは、世迷い的な見解だと思っていたので、こんな映像見ると、ちょっとリアルさを感じます。
で、脱出口は、脳の外側にあるのではなく、脳の中心のさらに奥にあると考えてもいいのでは。
太陽系の外に行くには、太陽系の中心に向かう必要があるという話と似てますね。
小人をまず起こそう。石灰化して、残骸になっていなければ。
| 名前の由来 | 22:00 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

やっぱり気になる

今日になって、この映像また気になりました。
小人が震える速度が早く、とくに顔の周囲の毛のような、光輪のような部分が、微細に動いていたので、ホログラフィの投射装置のような感じにも見えてきます。顔よりも下の身体は、むしろゆっくりと左右に曲がっていました。
何か遠いものを受信して、そして、世界の映像を投射している装置なのでは、という印象です。脳の中に、投射機のランプがあるような感じで捉えてもいいでしょう。
吉田戦車風の丸顔も、ランプだと思うと、納得がいく。



ディヴィッド・アイクの陰謀論、すなわち、宇宙から来たレプティリアンという爬虫類人が、低次四次元界から、世界中の人に、虚の映像を送信し、幻想を見せているという、映画マトリクスのような世界像は、人間の身体の構造そのものを拡大解釈したもののようにも見えます。

爬虫類人でなく、爬虫類脳に、世界のホログラフィを見せるホムンクルス型のランプがあって、そこに、遠いところから、映像が送信されている。
世界は、レプティリアンが支配しているというよりも、爬虫類脳が支配しているということ。
わたしたちの心、つまり羊脳は、それを変えることができない。新皮質としての人も変えることができない。低次四次元世界に彼らがいるというのはそれはそうです。十分に低次でないと、映像化できないのだから。低次四次元は時間の流れの方向を支配するわけですから。(身体の物理的な組織も、組織によっては、こうした不可視の機能を半々持っているというのが、シュタイナーの発想でもある。非物質の機能が一番強い代表が、脾臓。)

アイクは、わたしたちの世界はレプティリアンに洗脳されていることに気づけと言うけど、これはそのまま、わたしたちの脳組織の中で、レプティリアン領域にこそ、世界を支配する中枢が埋もれていて、それをなんとかしないことには、人生は変わらないということに気付け、と言い換えてもいいのではないかと思うのですが。羊脳や、人脳、すなわち感情や知性をいくらいじりまわしても、この虫脳には届かない。

生命の樹とか、いろんな秩序だった修行体系では、最後に、一番低いとこに行きます。カバラでは、最後の段階で、地上というマルクトの接触する世界のカードに向かいます。これは十牛図でも、最後になって、山の上から降りてきて、町の若者に出会う。そこをいじらないことには、変わらない。「根底から」という言い方をよくしますが、まさに、この根底です。

グルジエフは「人類は昔から高い意識は十分に発達している。問題は、低いところにある」と言いましたが、高次な意識を発達させた後、それが強固になったなら、はじめて、この低い「低次四次元界」の虫脳に、手を出すことができるのかもしれない。
途中で関わり合いになると、どうしても巻き込まれがちになるので、手順があるのではないかと思います。
よく超能力に関係するサードアイなどに関わるよりも、もっとより高いところを目指したほうがいいという意見があります。これは昔のグルの言葉を鵜呑み引用した発想です。現実には、低次四次元界は巻き込まれやすく、だから、それに耐久度がないことの言い訳として、そこにかかわるのは良くないという発想を借りてきてしまう面も多いです。(たいていそういう人たちは、体験なしに言う。)実際関わると、急激に乱れるんですよね。コントロールの効かないめちゃめちゃな状態になっていく。でも、そこに関わらないことには、何も変わらない。
イメージとして言うとわかりやすいと思うけど、哺乳動物や羊脳は、感情に訴えることで、説得できる。しかし、虫脳には感情がないので、気持ちで接点を作ることができない。もちろん知性も働きかけできない。気持ちも言葉も通じないものをどう制御するか、ということを考えると、いかに難しいかわかるでしょう。よく道場では、儀式以外では変成は生じないという言い方をすることがあります。これは、儀式には、虫脳に直撃的に関与する力があるという意味も含まれています。

プレアデス人は、どこかで戦争が起こると、それを避けて、違うところに行く。またそこで戦争が起きると、また移動して、違うところを探すということを繰り返してきたというふうに説明されることも多いけど、それに対して、戦争に深く同一化するオリオン人との対比は、虫脳と羊脳の対応でもあるかな。

バッタを頭に乗せる遊び。夢の中では、この頭の上に載せると、バッタの足が脳に食い込むので、それがかなり警戒心を呼び起こしたので、躊躇していたのです。 
| 名前の由来 | 07:41 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

松果体は、振動するのか

話がしつこくなったので、改頁して、あらためて書きます。
夢の中での、小人の顔だけでなく、全身がぷるぷると振動しているのを見て、この振動がどうしても気になるので、さらに書いてみます。

松果体とか松果腺という話題になると、やはりなんといってもヨガの分野が強いでしょう。
というわけで、しっかり内容を忘れた昔の本を引っ張り出してみました。お年寄りには懐かしいかもしれませんが、M・ドリールの「ヨガの真義」霞ヶ関書房の本です。
ヨガといって、ドリールを持ち出してみるのがなんとも奇異かもしれませんが。

301ページ。
「そのための行法としては、まず、われわれが松果腺と呼んでいるところの内分泌腺を振動させることから始めるのである。外へエネルギーを放射することからはじまる。まず、ゆっくりと松果腺を振動さし、だんだん速度を早め、しまいには、松果腺全体をものすごい速さで振動させる。それが出来てから、バイブレーション(振動)に調整が起こり、振動律の変化がおこってその振動による放射線のようなものが、頭の内部で、松果腺の周囲のある霊的中心点へ放射されるのである。この振動が霊的中心にまでとどく様になるには、大体二時間ほどかかるであろう」

ドリール説だと、この松果腺は、魂と、身体のつなぎ目のようなもので、言い換えると、非時間的、非空間的な意識と、空間、時間的な意識をつなぐ中枢のようなものだという話。で、まずは松果腺を活性化しないことには、脳にあるほかの要素も活性化してくれないので、まずはこれが、入り口になるということ。
松果腺あるいは松果体そのものは、物理的な面からだけ見ると、もちろん身体機能だけに関係していることになるが、身体的な作用だけに限らない組織を、物理的に観察するだけでは、それは当然役割は理解できないことになるでしょう。なので、ここでは、生理学的な知識、一般に言われている機能という知識に全面的に依存すると、間違った判断になるということですね。

夢の中で、ぷるぷる震える感じに心引かれ、興味深かったので、いまだにこだわるのですが、ドリールのいう、だんだん速度を早めるというのは、この速度がそのまま、同調する世界を決めてしまうということでしょうね。

ちなみに、わたしはこのドリールと、翻訳者は、同じ目をしていると、思っていました。二十代の頃に読んだ本なので、その頃にそう思ったのです。で、さらに、同じドリールの団体の右腕みたいな女性の場合も、同じ光り方をしていて、びっくりしました。いわば、感情のないガラス状の目です。この目があまりにも特徴的だったので、ドリール関係には興味を持ってしまったのですが、必ずしも、それは肯定的な意味で解釈していたわけではありません。脳がちょっと・・・と思っていました。

わたしたち、社会共同体に属する人々は決して同調することのない世界に同調して、その振動が身体を貫くと、そういう目になるのではと思います。これは松果腺の振動に関係あるでしょう。
振動しているときは、体感でわかるはずです。
たとえば、モーツァルトの音楽を聴くと、弦楽器の合奏の音で、頭の中心がジーンと響くような印象を受けるはずです。頭の真ん中を、ハケでこすられているような感触。ちょっとしびれるような。音と音を組み合わせると、単独の弦楽器では決して出てこない周波数が出てくるのですね。あれは、物理的に、ある振動が、頭の真ん中を刺激しているわけで、それをモーツァルト効果と言ってるはずです。

松果腺は同調装置として使われる可能性がある。しかし一般の場合にはそのような使い方をしていない。日常的なことの同調に使われている。しかし、ドリールの言うように、ここに「振動をかけて」違うものにチューニングすることは可能である。ドリール団体の人々は、まったく同じものにチューニングしていた。同じものに同調していると、同じ目になるということでしょう。
これは、ドリールの本をそのまま受け取れば、地球内部の世界とか、ホワイト・ブラザーフッドということになるけど、実際にはわかりません。

ちなみに、夢の中で、バッタを頭に乗っけるゲームをしていたのは、わたし以外に、二人くらいいました。
| 名前の由来 | 10:46 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |

もうひとつのクァンタムという名前の由来

ぷるぷる震える吉田戦車風の小人の夢がまだ、気になります。
で、そもそも第三の眼に、さらにクァンタムという名前をつけたのはなんでか、ということにも、これは関係するのではないかと思います。

爬虫類のレプタイルと言われると、レプトンを思い出します。
極微粒子まで至ると、もう粒子などは存在せず、ぷるぷるした波動が、あたかも粒子を偽装しているという話になりますね。科学というのは、何か古い知識の後追いというか、語法の違うものに翻訳している作業で、この世に新発見などなく、思い出す作業しかありません。そう考えると気楽です。発想法が違うと、一度全部チャラになって、またはじめから復元作業がある。

あの夢は、バッタの腹に、丸い顔をした穴が開いていて、それがぷるぷると震えているように見えるので、虫の穴、そのまんま「ワーム・ホール」というふうに考えることもできる。夢なんてそんな出方しますよね。夢はまるでダジャレの時がある。スイスでグラビトンの実験をするんだという話が出たのは、去年。で、夢の中で、このバッタに爪楊枝をつけて遊ぶという実験をしているのは、ほかに二、三人いたという話だったのだが、時空を自由に動くもの、光、そして物質へ、とつながる仲介的なものが松果腺にあるのならば、これらはみな、関連性があるかもしれません。ここでは、「ゲームして遊んでいる」という語句が重要だったんです。

こういう物理学の世界がいったいどういう関係があるんだという基本的な疑問を抱く人もいるかもしれませんが、わたしたちは宇宙の中にいて、宇宙の塵でできている。なので、わたしたちの主体、精神なども、なんらかの究極の物質と共鳴しているどころか、それ自身かもしれないということです。問題は、物理学などで、こういう微細な物質、粒子、波動などを考える、つまり対象化できるとすると、わたしたち自身の知性は、さらにもっと違う物質でできていることになりますね。同じものでできているなら、対象化は難しい。実験で発見することも。
でも、いずれにしても、光よりも遙かに自由に動く物質があるということで、そしてそれはミンデル式に言うと、わたしたちの精神や意識そのものであると言うことになると、松果腺の機能をわざわざ磁力に反応する組織とか、珪素でできているとか、制限する必要もないです。それらは松果腺の下部構造であると見てもいい話になってきます。それ以上の働きに対しては、非科学的探求の領分になってきます。
| 名前の由来 | 22:48 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

バッタに後ろから、爪楊枝を刺す

ある人のホームページに次のように書いてあります。

「そして、通じることをクシと言い名づけて「奇しき御魂」と呼んだ。漢字では聖人のことである。
 髪に挿す櫛は「髪を通す」の意味で、串焼きの串も「団子や肉を竹串で通す」の意味だから、出雲では熊野大社の主祭神の名を「神祖(かむろぎ)熊の大神櫛御氣(おおかみくしみけぬ)」の命としていて、食物の力で神に通じると言う「食国のまつりごと」の原形を伝えている。
神社で参拝すると「タマグシ(奇魂)奉納」が行われるが、これも、人間と、「宇宙・大自然の仕組み」との情報の、やり取りを願う儀式である。つまり、神と通じたい、結ばれたいとの願いから来ている。」
(http://moon.ap.teacup.com/20061108/35.html)

爪楊枝は、串のことかな。
人体の中で、どこもかしこも、quantumと関連はしているので、部位を特定しなくてもいいかもしれないが、少なくとも、光を越えたもの、空間と時間をこえたものから、光以下の映像化領域まで、地続きで、つなぐことのできる同期のための組織として、松果腺を、人体の中の「串」と考えてもいいかもしれません。
わたしたちの目にはこのような作用はないので、原始的な段階でとまっていて、あまり実用性が見えなかった松果腺をあらためてクローズアップする必要があるのでしょう。
昔は、ほんとにこの額に、キリで穴を開けるという乱暴な手段を使っていたところもありましたが、
肉体は、組成がすかすかで、隙間だらけ。隙間のほうが多くて、詰まっているほうが少ないので、
穴をあける必要はないだろう。隙間を通り抜けるには、サイズが小さい、つまり振動が高ければいいだけだ。
| 名前の由来 | 10:50 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |

第三の眼の開発のしかた

松果腺の活性化の方法

脳の構造は、そのまま体躯投影として身体に対応しやすいのでは。
カバラの生命の樹は、たいてい陰陽にわかれた二つの要素が、上位にある中枢で、統合化される、という三角形構造の繰り返しです。
つまり、上に、単一なものがあり、それが下では陰陽、男女にわかれます。
それが何度か繰り返されるというよりも、ヤコブの梯子のように連鎖する構造だと、かなりの数繰り返されます。

で、松果腺は、第三の眼と言われますが、
右目と左目の間にあり、少し上位の位置にある目ということになります。
脳の中では、これは右脳と左脳に挟まれていて、いわば「性分割されていない」ということです。
性分割されていない場合には、ふたつの方向があって、
ひとつは性分割へ。つまり下の左右、陰陽へ。
もうひとつは、下の左右、陰陽が、統合化されるという方向になりますよね。
この行き来に関連すると考えてもいい。

身体では、この左右が真ん中にという形は、左右の手が、頭に。
左右の足が、腰、あるいは生殖器の位置に、というふうに反映されています。
これも、左右の活動で得られたものが、上位の単一なものでまとめられるという意味が出てきます。

なので、象徴的には、松果腺は、生殖器あるいは頭というふうに考えてもいいわけです。
で、夜、暗いところにじっとしていると、松果腺から、メラトニンが生成されて、
これが、睡眠を促し、また性欲を抑制すると言われています。
睡眠というのは、意識の活動の陰陽というプラス、マイナスの激しい揺れを
そのまま、中和した統合点に持って行くことにも関連するし、
性欲減退となると、それはそのまま陰陽分割された男女を、幼児のような単一なものにしていくということですね。
メラトニンは、反対に、性欲を高めて、また老化を防ぐ薬などといわれて、アメリカでは一般に販売されているらしいです。鎮めるのか、高めるのかというよりも、そのコントロールということでしょうね。
大人になると、この松果腺からのメラトニンの分泌が減少していく。

で、脳が、馬車、馬、御者、あるいは虫、羊、人という三つの層の複合で働いているという時にわたしはまず、これを脳科学の分野からでなく、新プラトン主義などで使われる古い発想のほうを優先して考えますが、
肉眼で見る外界の映像というのは、地上的に男女化された、つまり陰陽分割された領域のものと考えてみることにします。この映像が、もうひとつ次元の上の、つまり統合化された単一の領域に結びつくプロセスを想像しよう。

なんで、こんなことを言うかというと、
たとえば、薬物実験などで、意識が深い場所に行くと、
●瞳孔が開き、目線が動きにくくなる
●深い記憶が、目前の具体的な映像の裏側に付随するというか、重なってゆき、現象や映像の裏の意味というものが浮上してくる。ひとつの映像が、三重のレイヤーになって見える。

ということが起きるからです。
頭の表皮に近いところの目で見ているものは、より深いものと同期を取ると、いわば人の脳、羊の脳、虫の脳が「同期」して、それぞれの領域での情報を提供していくと思うのです。
何か見て何も感じないというのは、この切り離しが起きていて、見たものは見たものだけで止まり奥のほうに接続されていないのです。

いつもは、この三つはばらばらな情報活動をしている。

生命の樹と似たような構造がそのままことにも反映されていると考えると、陰陽分割されたものが、単一なものへ統合化され、それは次の層を刺激して、そこでの陰陽分割が単一へ、というプロセスが全体で三回繰り返される。
たぶん、この繰り返しの中で、頭の表皮の目が、そのまま奥の松果腺へつながるのだと思います。
なんのことはない、結局生命の樹とかエニアグラムの構造、つまり三つの領域で陰陽と単一化の三つのプロセスが繰り返され、都合9つになる図式が、そのままここにもあるわけです。

何度も繰り返しますが、これを医学的、科学的な面でのみ考えてはなりません。医学的、科学的には、ものとしてのみ分析しているので、それは知識としては、三分の一領域しか理解できなくなるからです。参考にして、それを材料にして、もっと別のことを考えないといけないということになるのです。

二十代の頃に、裏側を黒く塗った時計皿型のガラス鏡で、毎日見つめて、
やがて、眠る前に、その中に映像を見るようになった。これはバトラーが説明している黒鏡そのものの練習です。で、そこでは、奥のほうから、独特の雰囲気を持つ映像がたちあらわれて、この場合、映像そのものよりも、その雰囲気に引きつけられた。何か、奥から引っ張り出してきた強烈な磁力が感じられるのです。故郷に戻ったような感覚です。

あれは、肉眼で見ている「陰陽分割された」領域を統合化した単一の場所の奥から引き出されてきた映像ですね。

■松果腺という脳の奥にある場所を、意識で特定する。
意識をまずそこに持って行く。どこにあるのか、探さなくてはなりません。
■そこから、額に移動する。反対に額から、松果腺まで、意識を行き来させる。
そうやって、まず「らせんパイプ」を通す。これは紐というイメージで良いかもしれません。
このパイプを通すというイメージは、昔懐かしいシルバ・マインド・コントロールでもやっていましたね。

暗い方が松果腺は活発化する。というのも、これは生物の歴史でもあり、目が発達していない、深海の生き物が、目のかわりに松果腺を使っていた時代の記憶のようなものでもある。

■ドリールの言う、高速振動というのも参考になるでしょう。高速振動は、陰陽化されたものが統合点へ向かわないとできません。振動は陰陽化された時に落ちるからです。で、これは性欲昂進とは反対の減退という方向性でもあります。でも、これも陰陽化されて、どちらかいっぽうに沈んでいる場合には、一体化して、第三の点に持って行くという意味では、反対の意味を持つことにもなります。つまり、二極のひとつに落ちている場合は、それを二極並列領域に持ってゆき、さらに統合化する必要があるということです。

■目線を動かさない。目線を動かすことは、虫、羊、人という脳をばらばらに機能させることになります。いってみれば、虫、羊、人の三つの領域の正中線を直線上に並べる必要があるからです。
たとえば、わたしたちは、いつもは何か見ていても違うことを考え、違うことを思います。これが虫、羊、人のばらばら化という意味です。じっと見ていても、違うことを考えるというのも、分裂です。考えるだけでなく、思う、感じるというのがすべて同じ方向を向く必要があります。

たぶん、これらは、たまたまですが、6月2日の日記に書いた、リコネクティブの体験者の話が参考になります。
そのヴィジョンでは、茶色のふたりの人が倒れていた。頭は近づいていた。
これが、物質界というか、末端の領域での、陰陽化されたもの。
受講者は、このふたりのうち、ひとりに自己同一化した。つまり男か女に。
その頭は近づいていたが、くっついてはいなかった。単一統合点にいけない。
黒い軸線は、曲がっていたので、統合化するには、座標が見つかりにくい。戻るコースがわからない。
これらが、ピンクとか紫の領域と結びつくと、
肉眼の目の世界という物質界と、深層の領域まで、つながる、すなわちリコネクトするということです。
たぶん、リコネクト体験のあらゆる人の話が、ここでは教科書として参考になると思うよ。

身体全体の、足から頭までのことが、額から松果線までにも復元される。
というよりも反対かもしれない。どちらでもいいが。額から松果線までのこと、あるいは松果線から、額までの設計図が、そのまま、頭から身体へと拡大復元される。
なので、やはり松果線は、設計図としての「小人」なのかもしれないですね。映画ブラックメンの、頭の中に住んでいる小さな宇宙人みたいですね。

爬虫類脳を排斥してみたり、また羊脳を過剰に重視したり、人脳のみで考えたり、
三つの領域をばらばらにする方向性は、自己の奥へとリコネクトすることを阻害します。つまりその人の価値観がそのまま頭や組織の使い方に反映されるのです。三つが同期している人は、何を見ても、何を考えても、その同期のシステムで考えます。すると、わからないこともわかってきます。
わからないこともわかってくる、というのは、回路ができていると、何か考えても、それがそのまま奥の智恵につながってゆき、やがては、大きな理解へと結びつく。これはすぐに、ということはない場合も多いです。が、かならずそこにたどり着くことになります。

−−−−−−−−−−−具体的な手順
アファメーション使いましょうか。

1.「わたしは、三つの世界が重なってできている。それらを結びつけて、まっすぐの道を作ります。」と言う。

2.額から、頭の真ん中にある松果腺まで、パイプができるイメージを作る。額が涼しいというイメージを持つ。風がそこにあたる。

3.「三つの世界は、赤の世界、黄色の世界、青の世界とみなされる。それをたどります。」と言う。

4.ふたりの茶色の人がいる。それが結合して赤の人に。それは額の門の中に入る。・・・ここまでは必要がない場合もあります。とくにへばっている場合には、これもしてみましょう。

5.「赤はオレンジとともに、黄色に統合化されます。」パイプの額に近い三分の一のところで、赤とオレンジが、真ん中の黄色にまとまることを想像します。

6.「黄色は、緑とともに、青色に統合化されます。」パイプの真ん中でのプロセスが進行していることを想像します。

7.「青色は紺色と結びついて、紫の門に入ります。」パイプの奥のほうで、このプロセスが進行していることを想像します。

8.松果腺が、振動していることを想像する。これは、むしろ、赤から紫に推移しつつ、額から松果腺へパイプを移動している間に、振動がどんどん高くなることを想像してもいいです。頭の奥のほうで、シューッという音がする。このシューッという音がなかなかわからないかもしれない。でも、頭の一番奥ということが重要です。

9.音を出しながら振動している松果腺から、逆に、額に向かって、光線が放射されていくことを想像。時間、空間をこえた微細な物質から、より下の次元に存在する光の領域へ接続。低い振動に向かって、下降していく。この松果腺の振動は、わたしが見た夢では、吉田戦車風の丸顔の小人の顔の周りのひだひだが、ぷるぷると高速振動しているものだと思うのですが、目にもとまらぬ早さで、紐がぷるぷるとふるえている光景を何か考えてください。手順を決めて、定番的なスタイルを作ると早いです。

これらを、バイノーラルビートの機械を使いながらすると良いかもしれないです。ヘミシンクの場合には、音声も入り、することが決まっていますから、なかなかできにくいですが、バイノーラルビート発信器であれば、やりやすいでしょう。
私の場合、ボイジャーエクセルプロテウス持っていますが、それだとF11です。

昔、わたしが、時計ガラス型のシャーレーの凸側を黒エナメルで塗って、内側を見ていた練習では、意識が奥のほうにつながると、いろいろと印象が伝わってくる回路ができるのですが、日によって、そういう気分でないことも多かったです。この「その気分ではない」というのを、バイノーラルビートは、強制的に深いレベルにセットしてしまうので、まさしく力業で、時にはこれは暴力的だと感じることもあります。しかし効果的です。

| 名前の由来 | 06:56 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |

鳥の足で額に傷をつける

  今日、三重県櫛田の講座でした。
朝、松阪駅のホームで電車を待っていたら、講座参加のTさんがやってきて、いきなり夢の話をしてきました。
いつもは誰にも会わないので、びっくりしました。

わたしのホームページに書いてある、シフトした占星術はどうすれば探求することができるのかと、夢で質問したそうです。すると、わたしは、Tさんの額に、鳥の足を突き刺し、額に傷をつけたそうです。
その後、上のほうから、何かエネルギィの固まりがどーんと落ちてきて、Tさんは両手がしびれたそうです。
で、そのことについて、わたしに聞いたらしいけど、わたしは「こういうふうになることになってる」と言ったそうです。
その後、お尻に鳥の足が出てきたそうです。

松果腺の話をしている最中なので、Tさんは、同じ流れを共有しているわけです。
で、シフトした太陽を体験するのは、わたしの言い方では「猿田彦化する」という意味です。
太陽は下に向かって太陽であり、上に向かって月である。
この上に向かって月であるという部分が、太陽の夜の顔、猿田彦あるいはデュオニュソスです。
下に向かって太陽というのは、太陽の昼の顔としてのアポロンです。
上に向かった太陽系は、ここで全太陽、ならびに銀河に対して受容的な同期を取ることができます。
これは、同時に、松果腺が、より振動の高いものを受信することを意味します。
光の速度よりもはるかに早いものであることは確かだと思います。

これまで、松果腺は、下に向かって太陽であるという、片面的な要素しか注目されていなかったと思う。
チャクラでいえば、これがサハスララチャクラということです。
しかしこれは、支配点というよりも、より上位のものに対する受容点であるということも大切です。
このためには、光の速度を超えて、非時間、非空間的な領域へ接続される速度が必要です。
太陽は、この太陽系の中においては、非時間であり非空間であると言いましたが、それがより上位のコスモスに対して月であるという時には、もちろん伝達物質は、光であってはならないのです。
これは超紐論とか、リサ・ランドールの世界と、共存可能な思想です。

わたしは占星術を使う場合、太陽系の外の恒星などに関しては、空間座標で計算してはならないと言ってるのは、光の速度で成り立つ空間的な位置座標は、太陽系内では使ってもいいけど、その外では筋違いの方向に走ってしまい、矢は自分のところに戻ってしまい、真実の外を見ていないことになるからだという理由でです。

Tさんは、より上位のところからどんと落ちてきたものを受け取ったので、ちゃんと実践できたわけですね。で、存在全体がここではシフトするので、
尻が底上げします。鳥は、地上にはいない。足は、どこかの枝に一時的に留まるだけで、
そこにじっとしているわけではありません。
尻は鳥の足となり、全体がシフトするという、わたしが「占星術について」という項目で書いていることと同じことが発生します。月には深入りしない、と。
夢は、サブスペース的な身体が体験することを物語ることも多いので、
このTさんは、サブスペース的には、もう体験をしたわけですね。
あとは、これを肉体的な次元にスムーズに連結するだけです。

東京と三重県はなかなかに遠いけど、このTさんの夢の話を聞いて、わたしは楽しかった。
猿田彦的太陽にリコネクトする運動をしようと思いました。
ラ太陽から、ド太陽へ。そして、実はこの太陽はラ絶対です。
人類は極度に孤立しています。より大きなコスモスとの関連を取り戻す必要があります。より大きなコスモスと関係を取り戻すと、より小さなコスモスとも同じ関係になります。
そうすれば、人類はこの宇宙においての癌組織とみなされないからです。

わたしは夢で、バッタの足が脳に食い込むので、ちょっと警戒していた。
Tさんは、額に、ぐさっと鳥の足を突き刺された。
同じですね。バッタの足か、鳥の足か。でもバッタに体温はないが、鳥には体温がある。

誰か、わたしの考えた、松果腺までのパイプづくりを試してみましたか。
わたしは自分で試してみて、脳の奥に、ぐさっと来るので、何か強烈な刺激があって、もうすこしソフトなほうがいいかなと思いましたが。

PS.
関係ないけど、コートニー・ブラウンは、コズミック・ヴォエージで、グレイに関して、親しみをもって描いていました。
で、わたしはコートニーブラウンは、グレイと、レティクルを混同していると思いました。もともとは同じ種族なので、このふたつをごっちゃに扱う人はいます。わたしも少しその傾向あります。見た目変わらないです。
ブラウンの描いている悲しげなグレイはあきらかに、ゼータ・レティクルあるいはクアズカです。これに注意しておかないと、今後rvの時にちょっとまずいかもと思いました。
| 名前の由来 | 17:01 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

松果腺を使うとちょっと時間が自由になる

>やってみました。まだ始めたばかりなので、色のイメージが散漫になってしまうのですが、松果腺の位置は特定できる気がします。音は聞こえません。私の場合、集中すると、小さい銀河系みたいなのができるイメージがあります。
> 第三の眼の存在は、小さい頃から知っていたので、目に見えない物事に焦点を当てる時、額に意識を集中するのは癖のようになっていたので、わりとつかみやすいです。
> 普段時々、額が急に冷たくなったように感じて、目を閉じてじっと成り行き見守ってると、映像があらわれて、少し後に起こる出来事だったりします。(例えば、電車の中でそうなると、イメージで見えた人が、そっくりそのまま次の駅で乗ってきたりします)
> 額のパイプは構築しやすそうなので、やってみようと思います。

色の変化は面倒そうなので、
もう少し簡略化したイメージのほうがいいかもしれない。
これについては、また考えてみます。

前から見て、左右の真ん中にあるということが重要なだけでなく、
どうやら前後から見て、前と後ろの真ん中にあるということも
大切らしい。

前者は空間的な中立状態だけど、
後者は、時間的な中立状態ですね。
オーラの場合、前から見るのと、横から見るのでは
がらっと見えるものの位相が変わり、
横から見ると、時間軸での見方にチェンジする。前から見ると、空間軸です。

松果腺は、時間軸としての中点に存在する傾向があるが、
わたしたち現代人はこのやりかたを断念して、脳下垂体に比重を移し、
すると前に傾斜しますが、未来へ意識の重みをかけすぎるという思想になって近視眼的になったということも、意味があるのかもしれない。つまり陰陽分割されたものは、もとの単一性に戻らないと自由になれないという原則があるのだけど、その意味では、男女に分割されたように、未来と過去のうち、未来へ希望を託すという偏りを作り出したわけです。この段階で、時間の枠の中に閉じこめられ、時間を自由に見ることができなくなった。

過去から未来へ。そして過去は忘れて行き、未来に新しく踏み込むという考え方をしていると、このような機械的な時間の進行は肉体にしか所属していないので、肉体的な生き方に過剰に支配されてしまうし、タロットカードの太陽以後のプロセスが体験できなくなるし、松果腺の真の機能も働かなくなるので、これが、現代人の脳下垂体型ということになるのかもしれない。

で、話違うけど、この夢の話をメールしてきたくれたTさん(三重県ではないほうの)は、シュタイナーに詳しいようなので、シュタイナー路線から、松果腺について、研究してほしいです。

たとえば、

「それは非常に不思議な仕方で為されるのです。まず、エーテル体 の内部での血液を図式的に観察してみましょう。心臓を通して流れる血液は人間自我の物質的な表現なのですが、自我が外界に応じて 印象を受け取り、それを記憶表象にまで濃縮する際、血液は単に働いているだけでなく、特に上方に向かって、下の方に向かってはわ ずかですが、上方のいたるところでエーテル体を刺激しています。ですからエーテル体はいたるところで流れを生じているのですが、 その流れは心臓から出て頭の方へ流れる血液に結びついた流れ方をしています。そしてそのエーテル体の流れは頭の中に集まり、そしてまるで電流のように、一方の先と他の先端とで陰極と陽極のよう に対峙するのです。」
「これら二つのエーテルの流れが、一方は下から、他方は上から、最 大限の緊張を伴って、二つの電流の流れのように対峙しているのです。そしてこの二つの流れがショートを起こすとき、表象が記憶され、それがエーテル体に組み込まれるのです。
 人体内の超感覚的な現実であるエーテルの流れは、記憶のための身体器官をつくり出しています。中脳の中に記憶を生じさせる一つの器官があります。それに対してもう一つ別の器官も脳の中にあります。そしてこの二つが脳の中で、エーテル体の二つの流れを身体的に表現しております。これらの流れが生体に働きかけ、この二つの器官を生じさせたのです。実際、私たちはこれらの器官の一つから他へエーテル的な明るい光が流れて、それが人間のエーテル体の中へ注ぎ込まれているかのような印象を持つのです。この二つの器官とは松果腺と脳下垂体のことです。この二つは、魂と身体とが相互に働き合っていることの可視的な表現なのです。」(オカルト生理学、ちくま学芸文庫、P97-102)」

シュタイナーに関しては、わたしはつい、そのまま丸呑みしてしまう癖がある。でも、科学的で物理的な面を考慮に入れて、なおかつ霊学として考える姿勢というのは、貴重なのでは。


で、もうひとつのメール。これも夢の話。同じ日に来たものは、関連があると考えてみました。

> ヘミシンク(F15)をやっていたら不意に、人が全く入り込まないような森の奥に人骨
> が露出しているのが見えました。それはとてもリアルでくっきりとした光景でしばらく脳
> 裏に焼きついて消えなかった。
>
> 昔の友人が行方不明になって、しばらくして山で遺体の一部(下半身の骨)が見つかり、
> 今年になってDNA鑑定で本人のものであることが確認されたのですが
> 上半身が見つからない。先週弔問に行ってきたばかりなので
> その映像がそのことと関係あることはすぐにわかったのですが
> すごく印象的だったのはその場に漂っていた、人を寄せ付けないような雰囲気でした。
>
> 彼の上半身は発見されることを望んでないのではないかと、ふと思いました。
> そして上半身と下半身が分離してしまったのは、
> 生前からそういう傾向があったからかもしれない、と。
>
> こういうのはリモートヴュイングというようなものではなく
> 普通にしてたら誰でもわかることだと思いますけど
> 悲しみとか人間的な感情がそれに気づくのを妨げているのでしょうか。
> ヘミシンクでは最初に余計なものを箱に入れてしまうので
> 邪魔が入らなかったということなのでしょうね、きっと。
>
> それで、上半身と下半身ということが気になっていたからかもしれないけど
> 明け方に夢を見ました。
>
> 「わたしは自分の部屋に友人を招待していたのだが
>  一番来て欲しい人がなかなか来ない。
>  おかしいなと思っているとドアが開き、向こうに誰かが立っている。
>  シルエットからだんだん顔がはっきり見えてくるのにしたがって
>  すごく怖くなり、夢の世界から転がるようにして逃げ帰ろうとすると
>  背後から『怖いのは腰が硬いからだ』という声がした」
>
> 腰が硬いというのは、上と下が上手く連動してないということですね、多分。
> ドアの向こうに立っていた人はおかっぱ頭だったので
> 先月描いた十牛図の第十図に出てきた人かなと思いました。

これも、松果腺の話題に結びつけてしまうと、
松果腺と、脳下垂体が、上と下という対応関係になっているとみなしてもいいのでは。
下にあるものは、上にあるものを怖がっていて、
下にあるものが、上を掴んで離さない。どこかに行ってしまうのではないかと怖がっている。
固定化された時間の流れの中にあるものは、時間からは自由なものの存在を許さない。
自分と同じように、時間の流れの中に引き込みたい。


(この画像は、http://www.koei-chemical.co.jp/know/brain/から。)

中脳の松果腺が受け取る情報は、間脳の先にある脳下垂体に渡されることで、これが身体とか感情の反応に直結するのだと思います。
で、羊の脳、つまり旧皮質が反応すると、感情のほうが、この松果腺の情報をマスクしてしまうことはあると思う。
よくRVの時に、瞬間で情報処理しなくてはならないということが重視されるのは、
松果腺が受け取ったものが、脳下垂体に伝達され、やがて旧皮質などに連絡が行くと、
そこでイメージの歪曲が生じるからだと思います。
松果腺に近い情報であればあるほど良くて、これが間脳に行くほどに、だんだんと既存のものが混じってくる。
腰が硬いのは、視床下部とか、脳下垂体が、松果腺についてこれない状態をあらわしているというふうに、いまの話題の流れに強引に関連づけても、そんなに間違いの話だとは思えないんですが。

| 名前の由来 | 05:03 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

橋爪一衛説

橋爪一衛の「松果腺」(東明社)という、まんまのタイトルの本を入手して、読んでみました。
日月神事関係の人なので、これは宗教関係です。

いきなり巻頭ページに、松果腺らしきところから、脳下垂体らしきところまでの色の一覧が書いてあり、青白、白、黄、赤、緑、褐色、黒という並びでした。これは色のスペクトルでは変則的ですが、この並びも興味深い。
わたしが引用したリコネクティヴ体験者の夢の話では、黒の螺旋、そして茶色の人が出てきましたが、これを七つの下の褐色と黒の領域とみなしてもいいかもしれません。

で、橋爪氏は、今の世の中を、脳下垂体的な世界観と考えていて、それに対して、霊的なものを松果腺とみなしているようです。有名な大本教の言葉、霊主体従だと、松果腺がボス、脳下垂体が従者、体主霊従だと、脳下垂体が支配的、松果腺はその裏で隠れて従者をしているという意味になりますね。少なくとも、医学的常識では、松果腺は消極的な意味しか与えられておらず、しかも下等生物では活発という話になっているので、従者かな。確かに、時計もある都市生活の中で、松果腺は安眠くらいの役にしか立たない立場かな。

28ページ以下の通り

「意識を脳下垂体、そこは二本のプラスとマイナスの白色光が発出している所と意識してください。脳下垂体に意識を集中し、その意識を頭の後ろの方に下げて、松果腺に集中する。次に、その意識の中心を松果腺を軸として、黄金光を一方の方向に回転させます。それから反対方向に回転させます。この方法は必ず今後のことに大切になります。」

松果腺は、三つの部分にわかれているらしいです。
以下、33ページ。

「宇宙心は初めに、この松果腺に入ってきます。そしてそれぞれの大切な場所に分かれて入ります。松果腺の底部を第一部という、この第一部は魂、即ち宇宙意識からの衝動白色光、宇宙心を受ける座であり、その白色光を潜在意識の座の松果腺の中央部、第二部に中継するのです。その中央部から、ある種の赤色光、つまり色光力によって魂の脳下垂体に送られるのです。松果腺第二部、即ち中央部から脳下垂体の前葉へとエネルギィが送られます。
 松果腺第三部、最上部から脳下垂体の後葉にと、エネルギーが放射されています。」

補足で、55ページ。

「真に幸せになりたいのであれば、まず”幸せ”ということの心象化を、現在心即ち脳下垂体の前葉に集中し、そして後方の宇宙心の松果腺第一部に移し、それから潜在心(脳下垂体の後葉)に移す、心象化を習慣づけることです。」

橋爪一衛式だと、額と松果腺の間を行き来するパイプよりも、松果腺と脳下垂体の間を行き来するラインを構築したほうが良いという話になります。脳下垂体とか視床が、イメージ化に関係するのは、一衛が、脳下垂体を「テレビの画像」とたとえていて、それに比較して松果腺を、テレビのアンテナとみなしていることからもわかります。

この橋爪式で、28ページを参考にして、イメージトレーニングの方法の修正案を出します。
| 名前の由来 | 08:05 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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