松果腺を使うとちょっと時間が自由になる
>やってみました。まだ始めたばかりなので、色のイメージが散漫になってしまうのですが、松果腺の位置は特定できる気がします。音は聞こえません。私の場合、集中すると、小さい銀河系みたいなのができるイメージがあります。
> 第三の眼の存在は、小さい頃から知っていたので、目に見えない物事に焦点を当てる時、額に意識を集中するのは癖のようになっていたので、わりとつかみやすいです。
> 普段時々、額が急に冷たくなったように感じて、目を閉じてじっと成り行き見守ってると、映像があらわれて、少し後に起こる出来事だったりします。(例えば、電車の中でそうなると、イメージで見えた人が、そっくりそのまま次の駅で乗ってきたりします)
> 額のパイプは構築しやすそうなので、やってみようと思います。
色の変化は面倒そうなので、
もう少し簡略化したイメージのほうがいいかもしれない。
これについては、また考えてみます。
前から見て、左右の真ん中にあるということが重要なだけでなく、
どうやら前後から見て、前と後ろの真ん中にあるということも
大切らしい。
前者は空間的な中立状態だけど、
後者は、時間的な中立状態ですね。
オーラの場合、前から見るのと、横から見るのでは
がらっと見えるものの位相が変わり、
横から見ると、時間軸での見方にチェンジする。前から見ると、空間軸です。
松果腺は、時間軸としての中点に存在する傾向があるが、
わたしたち現代人はこのやりかたを断念して、脳下垂体に比重を移し、
すると前に傾斜しますが、未来へ意識の重みをかけすぎるという思想になって近視眼的になったということも、意味があるのかもしれない。つまり陰陽分割されたものは、もとの単一性に戻らないと自由になれないという原則があるのだけど、その意味では、男女に分割されたように、未来と過去のうち、未来へ希望を託すという偏りを作り出したわけです。この段階で、時間の枠の中に閉じこめられ、時間を自由に見ることができなくなった。
過去から未来へ。そして過去は忘れて行き、未来に新しく踏み込むという考え方をしていると、このような機械的な時間の進行は肉体にしか所属していないので、肉体的な生き方に過剰に支配されてしまうし、タロットカードの太陽以後のプロセスが体験できなくなるし、松果腺の真の機能も働かなくなるので、これが、現代人の脳下垂体型ということになるのかもしれない。
で、話違うけど、この夢の話をメールしてきたくれたTさん(三重県ではないほうの)は、シュタイナーに詳しいようなので、シュタイナー路線から、松果腺について、研究してほしいです。
たとえば、
「それは非常に不思議な仕方で為されるのです。まず、エーテル体 の内部での血液を図式的に観察してみましょう。心臓を通して流れる血液は人間自我の物質的な表現なのですが、自我が外界に応じて 印象を受け取り、それを記憶表象にまで濃縮する際、血液は単に働いているだけでなく、特に上方に向かって、下の方に向かってはわ ずかですが、上方のいたるところでエーテル体を刺激しています。ですからエーテル体はいたるところで流れを生じているのですが、 その流れは心臓から出て頭の方へ流れる血液に結びついた流れ方をしています。そしてそのエーテル体の流れは頭の中に集まり、そしてまるで電流のように、一方の先と他の先端とで陰極と陽極のよう に対峙するのです。」
「これら二つのエーテルの流れが、一方は下から、他方は上から、最 大限の緊張を伴って、二つの電流の流れのように対峙しているのです。そしてこの二つの流れがショートを起こすとき、表象が記憶され、それがエーテル体に組み込まれるのです。
人体内の超感覚的な現実であるエーテルの流れは、記憶のための身体器官をつくり出しています。中脳の中に記憶を生じさせる一つの器官があります。それに対してもう一つ別の器官も脳の中にあります。そしてこの二つが脳の中で、エーテル体の二つの流れを身体的に表現しております。これらの流れが生体に働きかけ、この二つの器官を生じさせたのです。実際、私たちはこれらの器官の一つから他へエーテル的な明るい光が流れて、それが人間のエーテル体の中へ注ぎ込まれているかのような印象を持つのです。この二つの器官とは松果腺と脳下垂体のことです。この二つは、魂と身体とが相互に働き合っていることの可視的な表現なのです。」(オカルト生理学、ちくま学芸文庫、P97-102)」
シュタイナーに関しては、わたしはつい、そのまま丸呑みしてしまう癖がある。でも、科学的で物理的な面を考慮に入れて、なおかつ霊学として考える姿勢というのは、貴重なのでは。
で、もうひとつのメール。これも夢の話。同じ日に来たものは、関連があると考えてみました。
> ヘミシンク(F15)をやっていたら不意に、人が全く入り込まないような森の奥に人骨
> が露出しているのが見えました。それはとてもリアルでくっきりとした光景でしばらく脳
> 裏に焼きついて消えなかった。
>
> 昔の友人が行方不明になって、しばらくして山で遺体の一部(下半身の骨)が見つかり、
> 今年になってDNA鑑定で本人のものであることが確認されたのですが
> 上半身が見つからない。先週弔問に行ってきたばかりなので
> その映像がそのことと関係あることはすぐにわかったのですが
> すごく印象的だったのはその場に漂っていた、人を寄せ付けないような雰囲気でした。
>
> 彼の上半身は発見されることを望んでないのではないかと、ふと思いました。
> そして上半身と下半身が分離してしまったのは、
> 生前からそういう傾向があったからかもしれない、と。
>
> こういうのはリモートヴュイングというようなものではなく
> 普通にしてたら誰でもわかることだと思いますけど
> 悲しみとか人間的な感情がそれに気づくのを妨げているのでしょうか。
> ヘミシンクでは最初に余計なものを箱に入れてしまうので
> 邪魔が入らなかったということなのでしょうね、きっと。
>
> それで、上半身と下半身ということが気になっていたからかもしれないけど
> 明け方に夢を見ました。
>
> 「わたしは自分の部屋に友人を招待していたのだが
> 一番来て欲しい人がなかなか来ない。
> おかしいなと思っているとドアが開き、向こうに誰かが立っている。
> シルエットからだんだん顔がはっきり見えてくるのにしたがって
> すごく怖くなり、夢の世界から転がるようにして逃げ帰ろうとすると
> 背後から『怖いのは腰が硬いからだ』という声がした」
>
> 腰が硬いというのは、上と下が上手く連動してないということですね、多分。
> ドアの向こうに立っていた人はおかっぱ頭だったので
> 先月描いた十牛図の第十図に出てきた人かなと思いました。
これも、松果腺の話題に結びつけてしまうと、
松果腺と、脳下垂体が、上と下という対応関係になっているとみなしてもいいのでは。
下にあるものは、上にあるものを怖がっていて、
下にあるものが、上を掴んで離さない。どこかに行ってしまうのではないかと怖がっている。
固定化された時間の流れの中にあるものは、時間からは自由なものの存在を許さない。
自分と同じように、時間の流れの中に引き込みたい。
(この画像は、http://www.koei-chemical.co.jp/know/brain/から。)
中脳の松果腺が受け取る情報は、間脳の先にある脳下垂体に渡されることで、これが身体とか感情の反応に直結するのだと思います。
で、羊の脳、つまり旧皮質が反応すると、感情のほうが、この松果腺の情報をマスクしてしまうことはあると思う。
よくRVの時に、瞬間で情報処理しなくてはならないということが重視されるのは、
松果腺が受け取ったものが、脳下垂体に伝達され、やがて旧皮質などに連絡が行くと、
そこでイメージの歪曲が生じるからだと思います。
松果腺に近い情報であればあるほど良くて、これが間脳に行くほどに、だんだんと既存のものが混じってくる。
腰が硬いのは、視床下部とか、脳下垂体が、松果腺についてこれない状態をあらわしているというふうに、いまの話題の流れに強引に関連づけても、そんなに間違いの話だとは思えないんですが。
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